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福岡高等裁判所 平成8年(行コ)13号 判決 1999年3月25日

控訴人

北九州西労働基準監督署長

白壁勝典

右指定代理人

佃美弥子

外五名

被控訴人

有園法子

右訴訟代理人弁護士

安部千春

田邊匡彦

尾崎英弥

横光幸雄

右訴訟復代理人弁護士

辻本育子

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  申立

控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文同旨の判決を求めた。

第二  事案の概要

本件は、製鉄会社の従業員の遺族が、労働基準法七九条、八〇条、労働者災害補償保険法一二条の八第二項に基づいて、遺族補償給付及び葬祭料の支給を求めたが、不支給とされたので、その処分の取消しを求めた事案である。

一  基礎となる事実

1  本件作業(乙五の7、10、11、八の2、4、四六、五二、原審証人原博、原審における検証)

(一) 有園勲(本件災害当時四六歳。以下「亡勲」という。)は、昭和四八年三月八日、東京製鉄株式会社九州工場に入社し、製鋼課のCCM(連続鋳造設備)に配属され、機械修理の仕事をしてきたが、昭和五九年三月二一日、CCMのペンダント作業(以下「本件作業」という。)に従事するようになった。

(二) 製鋼課は、電気炉で鋼屑を溶解・精練し、圧延製品用の素材を製造する工程である。CCMは、その最終工程にあたり、電気炉で溶鋼状態にしたものを、モールドと呼ばれる鋳型に流し込み、冷却して固め、一定の長さに切断して圧延製品用の素材を連続して作る工程である。CCMの勤務時間は三交替制となっており、一直勤務は午前七時から午後三時まで、二直勤務は午後三時から午後一一時まで、三直勤務は午後一一時から翌日午前七時までであるが、実際は、所定開始時刻より三〇分早く作業に着手し、所定終了時刻より三〇分早く現場を離れる、という運用がなされていた。

(三)  本件作業は、最上方のレードルからタンディッシュを経て流下してきた一五〇〇℃の溶鋼が、モールドに流れ込む際に行われる作業であって、その主なものは、①溶鋼がモールドに付着しないよう、潤滑剤であるパウダーをモールド内にひしゃくで投入し、パウダーの厚みを管理レベルに保つ、②モールド内の溶鋼レベルを一定に保つため、スタート時はマニュアル操作を、その後は自動により監視のみを行う、③セミ浸積ノズル又は浸積ノズルの溶損状態を監視し、これらの交換を行う、④機械で判断できないモールド内の急激な変化を知るためモールド内を監視し、異常が発生したときは班長への報告又はレードルマン(レードルの作業者)への指示を行う、というものである。本件作業場と同一階には、右作業場後方約四メートルのところにCCM操作室があって、その一画に間仕切りによって休憩室が設置され、休憩室には冷蔵庫、テーブル及び椅子等が置かれていた。ペンダントマンと呼ばれる本件作業者は、実作業と休憩を三〇分ごとに繰り返し、休憩時間には休憩室やCCM操作室で休憩していた。

2  本件災害(乙三の2、五の11、15、17、八の2、三九)

(一) 亡勲は、昭和六〇年九月一九日、午前六時三〇分から一直勤務を開始し、二回目の休憩のため、午前八時に休憩室に引き上げ、休憩室の冷蔵庫からコカコーラを出して飲み、CCM操作室の冷房機の前にあった椅子に腰を下ろした直後、床に崩れるように倒れた。亡勲は、数分後に意識を回復したが、右肩部の疼痛や全身倦怠感等を訴え、直ちに、同僚が亡勲をライトバンに乗せて産業医である白井内科医院に搬送した。

(二) 白井内科医院の医師白井政之は、午前八時三五分ころに搬送された亡勲を診察したところ、意識障害はなかったものの、脈はかすかに触れる程度で、呼吸は弱くて早く、心音は聴診器で聞こえる程度であり、血圧は最高三〇mmHg、最低〇mmHgであった。同医師は、亡勲の症状から、重篤なショック症状で心不全状態と診断して、応急措置を施した後、健和会大手町病院に救急車の出動を要請した。救急車来院までの間に、亡勲が便意を訴えたため、数人でかかえて便所に連れていって排便させたが、その直後、便所で意識障害を起こして呼吸不整となり、血圧も最高、最低ともに〇mmHgとなった。心マッサージを施行中の午前九時二〇分ころ、救急車が来院した。

(三) 亡勲は、救急車内ですでに呼吸停止、心停止の状態であったが、健和会大手町病院に搬送されたときにも、意識レベル三〇〇(全くの昏睡状態)で、呼吸停止、心停止の状態であった。同病院の医師有留秀泰は蘇生術を施行したが、回復が認められず、午前一〇時二〇分、亡勲の死亡が確認された(以下、亡勲の死亡を「本件災害」という。)。死亡後、解剖は実施できなかったが、頭部CT検査では異常がなく、血液生化学検査ではGOT、GPT、LDH、CPK値の上昇が認められた。同医師は、亡勲の死亡原因を急性心不全と診断した。

3  本件不支給処分(証拠等を掲げたほかは争いがない)

亡勲の妻である被控訴人は、控訴人に対し、労働者災害補償保険法一二条の八第二項に基づき、遺族補償給付及び葬祭料の支給を求めたが、控訴人は、昭和六二年三月九日、亡勲の死亡は業務に起因したものとは認められないとして、これを支給しない旨の処分(本件不支給処分)をした。そこで、被控訴人は、福岡労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたが、昭和六三年七月七日、これが棄却されたので、さらに、労働保険審査会に再審査請求をしたが、平成三年九月二七日(甲二)、これも棄却された。被控訴人は、右裁決書を同年一〇月二四日以降に受領し(甲二)、平成四年一月一一日、本訴を提起した(本件記録)。

二  争点

本件災害は、労働基準法七九条、八〇条にいう業務上の死亡(すなわち、同法七五条の業務上の疾病による死亡)といえるか。

(被控訴人の主張)

本件災害は本件作業を原因とし、かつ、その間には相当因果関係がある。

1 本件作業は、一五〇〇℃の溶鋼の横における三〇分間の実作業と、冷房された休憩室における三〇分間の休憩との繰り返しであって、その作業環境は、作業現場が高温、高熱、多湿である上(当時、本件作業現場には、送風機だけが設置され、防熱カーテンや冷風装置は設置されていなかった。)、急激な温度変化にもさらされるという過酷なものであった。しかも、亡勲の勤務は三交替制であって、本件災害の前日である昭和六〇年九月一八日、亡勲は、一直、二直の連続勤務を行い、午後一一時二〇分ころ帰宅したのに、翌一九日には、午前五時五八分ころ出勤し、午前六時三〇分からの本件作業に従事したものであって、亡勲は精神的、肉体的に極度に疲労していた。

2 被控訴人は、亡勲は熱中症を発症して死亡したものと考えるが、仮に亡勲の死亡原因が急性心筋梗塞であるとしても、亡勲に冠状動脈硬化があったか否かは不明であるから、亡勲は本件作業によって死亡したものである。仮に亡勲に冠状動脈硬化があったとしても、本件作業が亡勲の血圧変動や血管収縮に影響を与えたことは明らかであるから、本件作業が亡勲の死亡の原因であり、かつ、その間には相当因果関係がある。

(控訴人の主張)

本件災害は本件作業を原因とするものではない。

1 亡勲の死因は急性心筋梗塞である。心筋梗塞の原因としては冠状動脈硬化と冠状動脈れん縮があるが、冠状動脈れん縮のみで死亡する例は極めてまれであって、冠状動脈硬化によるものが最も多い。そして、次の事実からすると、亡勲には冠状動脈硬化があって、その病変は進行していたと考えられる。すなわち、亡勲は、昭和五八年四月三〇日実施の健康診断で、高脂血症(血清総コレステロール値二六五mg/dl)により要経過観察と診断され、昭和六〇年四月一二日実施の心電図検査では、房室性期外収縮が認められ、要観察と診断された。また、右心電図を判読した結果、房室解離があって、不整脈はプラスとなっており、心房からの刺激は正常ではなく、時々乱れていることが明らかになっている。その上、亡勲には喫煙の習慣があって、喫煙量は毎日二〇本程度であった。心筋梗塞の三大危険因子(リスクファクター)として、高脂血症、高血圧及び喫煙があげられているところ、亡勲にはそのうち二つがあったことになる。

2 本件作業は、精神的、肉体的に疲労するような困難なものではなく、冠状動脈硬化による病変を増悪させて心筋梗塞を発症させるものではなかった。すなわち、本件作業は、監視を主とするものであって、重量物を運搬するような重筋力作業ではなく、その主たる作業であるパウダー投入作業でも、保持すべきパウダーのレベルには一定の幅があって、常に投入作業を継続するものではなく、多少多めに投入しても支障がなかった。また、本件作業現場では、夏場比較的室温が高く、溶鋼からの輻射熱があるものの、その対策として、ペンダントマンに輻射熱を反射する防熱服を着用させていたほか、防熱カーテン、冷風装置及び送風機が設置されていて、ペンダントマンへの高温、高熱の影響は緩和されていた。さらに、亡勲は、入社以来長期にわたって三交替制勤務に従事し、同僚の交替勤務者が年次有給休暇を取って休む場合には連続勤務や残業を幾度となく繰り返していたから、心筋梗塞発症直前の連続勤務を非日常的勤務とする理由はない。

3 以上によると、亡勲が死亡したのは、亡勲に従前からあった冠状動脈硬化による病変が、自然的経過として心筋梗塞を発症させたためであって、本件業務を原因とするものではない。

第三  争点に対する判断

一  亡勲の死亡原因

1  証拠(甲四、七、乙五の15、八の6、七五、原審証人竹下司恭、当審証人橋口俊則、同居石克夫)によれば、亡勲は急性心筋梗塞を原因として死亡したものと認めるのが相当である。被控訴人は、熱中症と主張し、これに沿った労働衛生コンサルタント天野松男作成の意見書(甲三、三六の1、2)を提出するが、前掲各証拠に照らして採用できない。

2  そして、証拠(乙二〇、四二、六四、六五、七〇、七四ないし七七)によれば、心筋梗塞に関する医学的知見は次のとおりである。心臓のポンプとしての働きは心筋の収縮・弛緩によってなされ、心筋が活動するためには血液が必要であって、血液の供給は冠状動脈から受けているが、冠状動脈が閉塞して血液が十分に供給されなくなると、心筋が酸素不足に陥って壊死する。これが心筋梗塞である。冠状動脈が閉塞する原因としては、冠状動脈硬化の進展に伴って形成された粥腫が破綻して血栓を形成する場合が多いが、まれには、一過性の冠状動脈れん縮による場合もある。発症の時期は労作と関係することもあるが、関係のないときの方が多く、労作と関係するときは、急激な血圧変動や血管収縮を引き起こすような、過度の精神的、身体的負荷によって出現することがあり、ときには、数分から数時間で死亡することもある。

二  亡勲の冠状動脈硬化

1  証拠(乙五の12、13、18ないし20、八の1、3)によれば、以下の事実が認められる。

亡勲の本件災害前の身体状況は次のとおりである。昭和五八年四月三〇日実施の血液理化学検査では、血清総コレステロール値二六五mg/dlで、高脂血症・経過の観察を要するとの診断を受けた。昭和六〇年三月二二日実施の健康診断では、身長一六二cm、体重六一kg、最高血圧一一〇mmHg、最低血圧六六mmHg、十二指腸潰瘍の治療中ということであった。昭和六〇年四月一二日実施の心電図検査では、房室性期外収縮(正確には、上室性期外収縮の一種である房室接合部性期外収縮と考えられる。乙七五参照)という異常所見があり、観察を要する(わずかに異常を認めるが、日常生活には差し支えない。)との診断を受けた。また、亡勲は、生前、毎日約二〇本の煙草を吸っていた。

2  医師竹下司恭(以下「竹下医師」という。)は、亡勲の冠状動脈には硬化が存在し、これが原因で心筋梗塞が発症したとの所見を述べ(乙八の6、原審証人尋問)、医師居石克夫(以下「居石医師」という。)は、亡勲の冠状動脈硬化は活動性又は高度であった可能性が高いとの所見を述べ(乙七五、当審証人尋問)、医師吉田洋二(以下「吉田医師」という。)は、亡勲の冠状動脈硬化は進行していた可能性が大きいとの所見を述べる(乙六五)。確かに、高脂血症と喫煙は、高血圧や肥満等とともに、冠状動脈硬化の危険因子(リスクファクター)といわれ、動脈硬化学会診断基準によると、血清総コレステロール値二二〇mg/dl以上は異常値とされている(甲三七、乙四三ないし四五、八三)。

しかしながら、①右診断基準では、二二〇mg/dlから二五九mg/dlまでを軽度、二六〇mg/dlから二九九mg/dlまでを中等度、三〇〇mg/dl以上を高度としている(乙四三)ところ、亡勲の血清総コレステロール値は二六五mg/dlであって、中等度でも軽い方の数値であり、しかも、高脂血症はこれが長期間継続すれば冠状動脈硬化を促進することになるが(乙六四)、亡勲の右数値は本件災害の約二年前である昭和五八年四月三〇日当時のものであって、これが継続した期間は不明である。②亡勲の血圧は正常であって、肥満度は正常値である(乙三一参照)。③亡勲は心電図異常(房室性期外収縮)を指摘されているが、右の心電図異常は健常者でもストレス等によって出現するもので、治療の対象とはならないものであって(乙六四、当審証人橋口俊則)、むしろ、昭和六〇年四月一二日という本件災害に近接した時点の心電図検査では、冠状動脈硬化を窺わせるような異常は指摘されていない(乙五の19。なお、乙五の20(医師鈴木秀郎作成の昭和六二年一月一九日付け意見書)には、右心電図から房室解離を認める旨の記載があるが、右の心電図検査当時には指摘されておらず、竹下医師、居石医師及び吉田医師も指摘していないところであって、直ちには、右所見を採用することはできない。)。④亡勲は社内の山岳部に所属し、本件災害の一か月前である昭和六〇年八月ころにも、同僚と一緒に久住山(登山に数時間を要する標高約一七〇〇メートルの山である(乙八七)。)に登っているが(乙八の1)、その際、亡勲が体調の異常を訴えたという事実を認め得る証拠はない。以上の事実に照らすと、前記の竹下医師、居石医師及び吉田医師の各所見を直ちに採用することはできず、本件災害当時、亡勲に高度ないし活動性の冠状動脈硬化があったことを確定することはできない。

三  亡勲の就労状況と作業環境

1  証拠(甲一七、乙五の1、10、11、八の2、一五、一六、一七の1、2、一八、一九、三四、三六、三七、四六、四七、五八の2ないし12、六一の1、2、六二の1、2、六六、原審証人原博、原審における被控訴人、原審における検証)によれば、以下の事実が認められる。

(一)  CCMの勤務時間は三交替制であるが、欠勤者がある場合には連続勤務をすることがあり、本件災害当時、毎月平均二、三回の連続勤務が行われていた。亡勲の本件災害前一〇日間の勤務は、①昭和六〇年九月九日・二直勤務、②同月一〇日・二直勤務、③同月一一日・二直勤務、④同月一二日・公休、⑤同月一三日・一直勤務、⑥同月一四日・一直勤務、⑦同月一五日・年休、⑧同月一六日・公休、⑨同月一七日・一直勤務、⑩同月一八日・一、二直連続勤務というものであった。そして、亡勲は、同日、午前五時三〇分ころ自宅を出て午前五時五三分に出社し、右の連続勤務を終えた後、午後一〇時四五分に退社して午後一一時二〇分ころ帰宅し、翌一九日(本件災害日)、午前二時ころ就寝して、一直勤務のため、午前五時三〇分ころ自宅を出た。

(二)  本件作業現場では、本件災害当時、溶鋼の器であるタンディッシュに防熱カーテンが設置され、作業場の①真上と②右上後方にそれぞれ送風口が設置されて、①の送風口からは冷風が、②の送風口からは送風のみが吹き出ていた(本件災害後、②の送風口からは冷風が吹き出るようになった。)。ペンダントマンは、不燃性の作業服の下にエプロン型の防熱服を着用するほか、手袋、ヘルメット、保護面、防塵マスク及び安全靴を着用し、防熱服と手袋の表面にはアルミ加工が施されていた。

(三)  ペンダントマンは、実作業が終了して休憩時間に入ると、CCM操作室の冷房機の吹出し口の前でしばらく体を冷やし、体が冷えると、冷風のあたらない右操作室か休憩室のどこかで休憩を取っていた。

(四)  本件災害後、アスマン式通風乾湿計と黒球温度計(輻射熱測定器)により、本件作業現場の気温等を測定した結果は次のとおりであった。すなわち、①昭和六二年九月七日と翌八日は、気温三〇℃、輻射熱三六℃、湿度五一%で、②平成四年一〇月六日(原審における検証時)は、一回目が気温25.6℃、輻射熱三〇℃、湿度七四%、二回目が気温三九℃、輻射熱五八℃、湿度八二%(ただし、一回目の輻射熱と二回目の気温は、前者につき風を遮断せずに黒球温度計を使用した点、後者につき風を遮断してアスマン式通風乾湿計を使用した点でいずれも測定方法を誤っており、採用できない。)で、③平成九年七月四日は、気温32.8℃又は33.6℃、輻射熱四一℃又は45.5℃、湿度57.5%又は六二%であった。また、③の測定時、外気温は三五℃で、CCM操作室内の気温は23.5℃であった。

2  右(三)の事実は、ペンダントマンであった原博(原審証人)及び上野末信(乙四六)の各供述により認定するものであって、前記第二の一の2(一)のとおり、本件災害時の亡勲の行動とも一致しており、ペンダントマンが暑熱の中で本件作業に従事していたことを示すものである。このことは、右(二)及び(四)の事実をもってしても否定することはできない。

右事実と、前記第二の一の1(三)の本件作業内容及び原審における検証の結果を総合すると、本件作業は身体を暑熱と冷気にさらすことを繰り返す精神的、身体的負荷を伴う作業であったものと認められる。そして、外界の温度の上昇・下降が血流量を変動させ血圧の低下・上昇を引き起こすこと(甲一一、一二、乙二〇、四八)や、右(一)のとおり、亡勲が本件災害前日に一六時間の一、二直連続勤務を行い、翌日には一直勤務に従事するという長時間勤務に服したことをも併せ考えると、二回目の休憩の際、亡勲が暑熱の本件作業現場から冷やされたCCM操作室に入室することは、心臓への負担を急激に増大させるものであったと推認できる。

四 以上の事実によると、亡勲に高度ないし活動性の冠状動脈硬化があったことは確定できず、しかも、本件作業は亡勲の心臓への負担を急激に増大させるに足りるものであったから、亡勲の急性心筋梗塞は本件作業を原因として発症したものと認めることができる。そして、本件作業以外に急性心筋梗塞を発症させる有力な原因は認められないから、本件作業と本件災害との間には相当因果関係が認められ、本件災害は業務上の死亡ということができる。

第四  結論

以上によると、本件不支給処分は違法であるから、右処分の取消しを求める被控訴人の請求は正当として認容すべきである。よって、本件控訴は理由がない。

(裁判長裁判官・下方元子、裁判官・木下順太郎、裁判官・川久保政德)

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